同性愛者として生きる時間

 最近は「時間」という言葉に敏感に反応してしまうことが多い。昨日の記事に、ゲイ向けの出会い系アプリに関して書いた以下の文章は、ボクの最近の心情そのものだ。

『昔やったことはありますけど、今はやっていないですね。何だか時間が勿体無いような気がしたんですよ』

 

 ゲイになっていなければ、きっと結婚して家庭を築くことに時間を費やしていただろう。ボクは独身だから、自分のために使う時間は有り余っている。でも全くと言っていいほど、何も進んで行動できないでいる。そもそも同性愛者として、今後どう生きていけばいいのか将来設計が描けないでいる。

 先日、録画しておいた『やすらぎの郷』(脚本:倉本聰)というドラマを見た。そのドラマの中で、八千草薫がこんなセリフを言っていた。

「せっかくの時間だし……勿体無いじゃない? 生きてる時間、私ももうそんなに長くないのね」(第65話)

 老人ホームに入居中の元有名な女優役の八千草薫が、老人ホームにインタビューに来た人気の若手俳優(向井理)に伝えた言葉だ。

 同性愛者として残された生きている時間。

 ボクはもう少しで三十六歳になろうとしている。そろそろ四十歳という年齢が迫って来ている。恐らくあと四年間をどう生きて行くのかによって、同性愛者として生きる今後の人生の分岐点になっていくと感じている。そして少しでも前を進もうとして、このサイトも始めてみた。今のところ何の変化もないけど、自分の今まで生きてきた時間を振り返っていると、なんてくだらない時間を過ごして来たんだろうと後悔してしまっている。

 このドラマの主題歌になっている『慕情』(作詞:中島みゆき)の歌詞に、以下のくだりがある。

 甘えてはいけない 時に情は無い
 手離してならぬ筈の何かを間違えるな

 ボクには片思いの人はいても告白することもできないし、家庭を作ることもできない。それでも残りの四年間で手離してはならない何かを築いていきたい。