言葉のしっぽ<番外編2>

このゲイブログを書き始める前、

また文章を丸ごとコピペされるんじゃないだろうか?

と心配だった時期がある。

でも今になって考えると杞憂だった。

以前、書いていたような「まとめ情報サイト」なら、欲しい情報だけが得られればコピペされた文章を読んで終わりだった。ボクのサイトに書かれた文章が、オリジナルの文章なんだけど、サイトに来てもらえないと一銭にもならない。どこか別のサイトで、ボクの書いた文章を読んでもらったら、ボクの文章を書くも目的も意味も無くなってしまう。

でも、今書いているサイトは状況が違う。

このサイトの文章をコピペしてくれるなら、やってほしい欲しいとさえ思っている。

そのコピペサイトを読んで、もし続きを読みたいと思った人がいれば、ボクのサイトに来て文章を読んでもらえる。ただ、別にボクのサイトに来て読んでもらう必要もないとも思っている。もともとアクセス数に興味がない。それにボクのサイトの来て文章を読んで貰ったところで広告も貼っていないから一銭にもならない。

このサイトに書く文章には、ボクという人間の気持ちや感情を込めている。

それは以前、作ったサイトには無かったものだ。

ゲイブログを書く上で、お金を稼ぐこと自体は反対している訳ではない。

それに、もうブログ上に文章を書くというだけでは、生きていくのは難しいと思う。

本屋の新刊コーナーに行っても、似たようなキャッチコピーのついた自己啓発本ばかりだ。出版業界のことはよく知らないけど、きっと編集者も月に何冊ほど出版するというノルマがあって、目の前の短期的な目的を達成るために必死なんだろう。だから周囲を説得しやすい売れ筋の似たような本のコピーを連発してるんだろうと思う。ブログだけではなく、文章を書いてお金を稼ぐという事自体が厳しいと思う。

ただボクは文章を書くということの価値は今も変わらずあると思う。

ボクは文章を書き続けて行くうえで「短期的な目的」と「長期的な目的」のバランスが大事だと思っている。

ボクにとっての文章を書く「短期的な目的」は、同じゲイ仲間とネット上で知り合って、雑談して日々の孤独感を紛らわすくらいしかないかもしれない。あまり価値のある目的ではないかもしれない。

ただ、ボクはどちらかと「長期的な目的」を重視している。 

「長期的な目的」が何かというと、

ボクの書いた文章に興味をもってくれる人。

ボクという人間に興味を持ってくれる人。

その人たちと直接、出会うこと。それは別に少ない人で構わない。

ボクはゲイとして生きてきて行き詰まりを感じていて、それを打開する方法を模索してゲイブログを書き始めた。それとゲイの人が書いた文章の中で、自分が読みたいと思う文章が見つからなかったから書き始めた。

ゲイブログ上に文章を書くということは「非リアル」な世界の出来事だ。ただ、それを積み重ねていけば、「リアル」な世界にも影響してくると思っている。

ボクは毎日、1年間文章を書き続けてきて、会いたいと思っていた人たちに、実際に会うことができた。「非リアル」な世界を地道に積み重ねてきた結果、「リアル」な世界にも影響が及んできた。福岡である人と会うこともできた。

もし文章を書いてなかったら、相変わらず有料ハッテン場に行って寝ていたかもしれない。

それと1年以上、文章を書き続けてきたボクにとっては、「非リアル」な文章の世界を書くこと自体が楽しい。楽しく文章を書きながら「リアル」な世界を生きているボク自身が幸せを感じている。もう今は「長期的な目的」と「短期的な目的」のどちらを達したとしても、文章を書き続けることは止めないと思う。それは書くということ自体が楽しいからだ。一年間書き続けてきて、もう書くということが体に沁みついてしまった。それに文章を書き続けていけば、もっと「新しい別の目的」を見つけていくだろう。

もしかしたらゲイブログ上に文章を書くと言うこと自体、「意味がない」と言う人もいるかもしれない。しょせんは「非リアル」の世界だと言う人がいるかもしれない。でも書くことに意味はないかもしれない、書き続けることに意味はあると断言する。

最近、よくゲイブログの閉鎖を見かける。

みんなそれぞれ文章を書く目的を持っている。

ボクと同じように、ゲイとして生きていて行き詰まりを感じて書き初めたという人もいた。その目的は達成できたのかなと、最後に書かれた文章を読みながら思う。

<終わり>