カミングアウトした過去と他人との距離感<8>

最初の頃は、多くの人と同様に印象派の絵画を集めた展覧会が好きだった。

特に印象派の『モネ』や『シスレー』や『ゴッホ』といった画家の絵が好きだった。そのうち絵画だけでなく、仏像だったり陶芸だったり屏風だったり浮世絵だったり絵巻物だったりと、異国の棺から石像から化石だったり、その他もろもろ、もっと広い分野の展覧会にも行くようになった。

それから展覧会に行って図録を買ったり、本屋で画集を買ったりして、暇な時間があればパラパラとめくって眺めていた。それと幸いなことに母親も絵が大好きだったので、ボクが買う以前から家には西洋画、日本画の有名な画家の画集が沢山あった。母親の本棚から借りて来ては絵を眺めていた。母親と一緒に絵について熱く語り合ったりもした。この時期、NHKの『日曜美術館』という番組で、ゴッホの『ローヌ川の星月夜』やモネの『かささぎ』を見て、テレビの前で釘付けになった。その番組が終わっても頭の中から離れることはなかった。

好きな画家や好きな絵や見つけては楽しんでいた時期だけど、一人だけどうしても理解できない画家がいた。

後期印象派に『セザンヌ』という画家がいる。

ボクはセザンヌの描く絵の良さが全くわからなかった。

できそこないの絵を見ているようで「巨匠と言われているけど何がすごいのだろう?」と疑問に思っていた。美術が好きな周囲の大人と話しても「セザンヌはすごくいい」という人と「セザンヌは何がいいのか分からない」と言う人で、意見が二つに分かれていた。ボクは当然に後者の意見だった。これがモネやゴッホであれば、そこまで意見が分かれることはなかったと思う。

ある日、印象派の画家の作品が勢ぞろいした展覧会に行った時のことだった。

モネやルノアールやシスレーやピサロやゴッホといった印象派の巨匠の作品が沢山並んでいた。他にもミレーやブータンといった印象派の先駆けになった画家の作品も勢揃いしていた。

そんな豪華絢爛な展覧会の途中に一枚の地味な絵がかけられていた。ボクはその絵の前に立って一目見てから動けなくなってしまった。その絵は愛媛県美術館が所蔵しているセザンヌの『水の反映』だった。

f:id:mituteru66:20181111151237j:plain

f:id:mituteru66:20181111151235j:plain

その絵を見ていると何故だか分からないけど胸が熱くなって涙が出てきた。

ボクは絵を描く技法を学んだわけではないから、うまく説明はできないけど「この絵を描いた人は天才だ」ということだけは分かった。ボクがじっと見ているせいか、他の客の中にも「この絵の何がいいのだろうか?」と気になって一緒に見る人もいたけど、すぐに首を傾げて次の作品に移動していった。すぐ隣にあったモネの『リンゴの木』はすばらしい絵で人だかりができていた。それにくらべて、このセザンヌの絵の全く人気がなかった。でも、ボクがずっと見ていたいと思ったのはこの絵だけだった。

その後、展覧会の出口まで行った後に、会場から出るのが惜しくて何度もセザンヌの絵の前に戻ってきて感動していた。この一枚の絵との出会いを境に、それまで全く理解できなかったセザンヌの絵を見て感動できるようになった。

<つづく>