カミングアウトした過去と他人との距離感<7>

ボクはその日から彼の描く絵が大好きになった。


美術の授業が終わる度に、彼の絵がどこまで完成したのかを確認するのが日課になった。美術室に誰もいない時に、書きかけの油絵を乾燥させるための保管棚から、こっそりと彼の絵を取り出して眺めていた。


彼は不良生徒で、学校に来る時には外していたけど耳にはピアスの穴が開いていた。眉毛もかなりいじっていて、髪型はスラムダンクに出てくる宮城リョータに似ていた。学校帰りに本屋で万引きをやっているという噂も聞いていた。何度か捕まって親と一緒に学校に呼び出されて校長先生と面談したとも聞いていた。学校に必ず一人はいる番犬のような教師からは特に目をつけられていて、忘れ物をしただけで人目の少ない場所に連れていかれて殴られたりしていた。教師から殴られて鼻から血を流している姿を何度か目撃した。


そんな不良生徒の彼だけど絵を描くのは大好きだった。


他の授業では寝てばかりだったけど美術の時間だけは、真剣になってキャンバスと向き合っていた。


いつも一緒に遊んでいた他の不良生徒たちはいい加減に時間をつぶしていたけど、彼だけは黙ってキャンバスに向かっていた。


ボクは「どうやったらこんな美しい絵を描くことができるのだろう?」と憧れの視線で少し離れた席から眺めていた。それから他の同級生に「●●君の絵が好きだ」と話した。「神原は●●君が好き」と勘違いした馬鹿な同級生がいたけど、ボクと不良生徒の彼をカップリングして噂する生徒はいなかった。そんなことをすれば噂を広めた本人は登校できなくなるだろう。ついでにボクも登校できなくなるけど。そんな話はともかく、明らかに他の生徒とはレベルの違う絵を描いているのに、「どうして彼の描く絵の凄さが分からないのだろう?」と不思議に思っていた。そんな疑問を感じている時、ボクと同じような視線を注ぐ人がいるのに気が付いた。それは美術の教師だった。その美術の教師はボクと同じような視線で彼の描く絵を眺めていた。


それからも彼が次々と描く絵はボクを感動させてくれた。


そのうち「彼の描いた絵が欲しい」と思うようになってしまった。


ただ、ボクは大人しくて地味な階層に属していた。彼は不良で派手な階層に属していた。そんな階層の違いもあって彼と直接会話をしたことは一度もなかった。当時、ボクは同級生の間ではホモキャラを演じていた。そんなボクの情けない道化姿を彼は遠くから笑って見ているだけだった。他の同級生と一緒になって声をかけてくることはあったけど、二人きりで話す場面はなかった。ホモ扱いされている一度も話したことのない同級生の立場から、いきなり「その絵を売って欲しい」なんて言い出すことはできなかった。彼がキャンバスを脇に抱えて家に持って帰っていく姿を遠くから眺めることしかできなかった。


彼は高校を卒業してから美術系の大学に進むことはなかった。本人は美術系の大学に行きたいと希望したいたようだけど勉強不足と経済的な都合もあって働く道を選択することになった。こっそり飲食店でバイトをしていたらしく、料理関係の道を進んだと噂で聞いた。


大人になった今でも、彼の描いた絵を頭の中に思い浮かべてしまう。


ボクは彼の描く絵をもっと見ていたかった。


ボクの美術への興味は彼の絵を見て衝撃を受けた瞬間から始まった。もう一度、彼の絵を見た時と同じような衝撃を味わってみたかった。


<つづく>