ライナーノーツ<13>~同性愛者が存在する確率~

 「故郷に帰らなくても、故郷とつながっていると感じる時がある」

『同性愛者が存在する確率』は、大学時代に帰省してゲイ向けの出会い系掲示板に書き込んでみたら、小学校時代の同級生とメールのやり取りをして再会したという話だ。

その同級生は近いうちに結婚することになっていた。

もしかしたらボクはゲイの中でも、女性と結婚しているゲイの人に一番親近感を懐いているのかもしれない。このサイトに感想のメールを送ってくれる人は、なぜか既婚のゲイの人が多い。恐らくボクの中にある親近感に似た感情が文章の中に自然と染み込んでしまっているように思う。

ボクは大学に入学するのと同時に実家から離れた。でも、もしあの段階で実家から離れなかったら、この文章に出てきた彼のように、ゲイであることを隠したまま「女性と結婚する」という選択をしたように思う。ほんの一歩でも違っていたらボクも「女性と結婚する」という選択をしたという確信に近い思いがある。

ボクは滅多に実家に帰らない。

去年は年末を含めて2回しか帰省しなかった。親から「たまには顔を見たい」と言われても曖昧に誤魔化している。たまに実家に帰省して久しぶりに母親の顔を見ると皺や白髪が一気に増えていて胸が痛くなる。

ボクの住んでいる実家は田舎なので帰省したと言っても、どこか遊びに行く場所もない。それにボクは同級生に会うつもりもない。

「それで神原ってまだホモのままなの?」

そんな好奇心に満ちた目を同級生たちから向けられたくはない。もうボクのことなんかとっくに忘れ去っているはずなのに、再会してわざわざ思い出させる必要はない。

実家の街並みはすっかり変わってしまった。

ボクが子供の頃、年配の夫婦が住んでいた家は空き家になっている。もしくはとっくに取り潰して、ボクと同年代の新しい夫婦が、子供と一緒に新しい家に住んでいる。実家の両隣に住んでいた年配の夫婦も亡くなってしまった。今はボクと同年代の見知らぬ夫婦が、子供と一緒に見知らぬ家を建てて住んでいる。

もうボクが子供の頃に見た景色は街に見当たらない。

それで帰省すると人や街を避けるうように山や川辺や海辺を散歩している。

なんでそういった場所ばかり散歩しているのか、最近になってようやく分かってきた。

自然は変わらない。

どんなに時代が流れても、子供の頃と同じように山はそこにあるし、川はそこにあるし、海もそこにある。

両親は老いていく。同級生たちも変わっていく。住んでいた街並みも変わっていく。

そんな喪失感を味わっている中、一番変わらないで昔のままで居続けてくれるのが自然だった。ずっと変わらないでいてくれる物を見ていると、なんだか心が落ち着いていく。

そんな自然を眺めていると、故郷から遠く離れた場所で眺めても、なんだか帰省したような不思議な気分を感じる時がある。 

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