ゲイブログを書く前後<20>

 このサイトを初めて半年が経った2017年の7月から8月。この時期が「サイトを更新するのを止めようかな?」と本気で思っていた時期だった。

 7月までに初めて野外のハッテン場に行った話(『インターネットの同性愛世界』を参照)も、有料ハッテン場に行った話(『はじめての有料ハッテン場』を参照)も既に書き終わっていた。6月上旬に有料ハッテン場に行った時の感情の動きをリアルタイムに細かく綴った話(『住吉奇譚集』を参照)も書いていた。

 そしてボクが中学時代や高校時代にカミングアウトをしていて、大学時代からカミングアウトを止めるまでの過程をまとめた話『カミングアウトの代償』も7月上旬に書き終わった。

 この時点で、大きな流れは書き終わったように感じていた。

 メモ帳を開くと、書く予定の文章は沢山あった。

「でも……この残りの文章って書く意味があるのかな?」と疑問に思うようになっていた。

 残りの目ぼしい出来事としては、社会人になって同僚にカミングアウトする話(『深夜のカミングアウト』を参照。この章はもう少し後に書くことにして途中で止めています)ぐらいで、もうそれを書いたら毎日のサイト更新は終わってもいいと思えるようになっていた。後は気が向いた時に、適当に過去のことを書いていけばいいと思えていた。ボクは社会人になってからゲイであることを隠して生きてきたから、これ以上に書きたいことが新しく起こるとは思えなかった。

 それと文章を書きながら、いつも疑問に思うことがある。

 例えば「男」が「男」を好きになった話(『同性への憧れと恋愛の境界線』を参照)を書いたことがある。ただ書いている本人からすれば、「これって特に目新しいことでもないよね?」と疑問に思っている。

 世間一般からすれば、「男」が「男」を好きになってしまうことは、少数派で関心があることなのかもしれない。

 でも少なくとも文章を書いているボクにとっては「普通」なことなのだ。「男」×「男」の関係はあたりまえのことだ。

 例えば高校時代に「男」×「女」の関係で、一方的な恋愛感情を抱いていた過去の記憶を文章に書いたとして誰が読みたいと思うだろうか?

 恐らく文章を書いている人が、知り合いや有名人だったり、文章を書くテクニックがある人が書いた文章であれば、面白おかしく読むこともできるかもしれない。でも一般の人が書いた「男」×「女」の話なんて、そんなに目新しい感じがしないように思えた。

 「同性愛」を見世物にしてるような気がするな……

 なんだか自分が注目をされたいがために「同性愛」の世界を、ありのままに書いてしまっているような、そんな気分になっていた。

 ボクにとって「普通」なこと。「男」が「男」を好きになっている文章を読んでいて、誰かが面白いと思ってくれるのかな? 

 そう疑問に感じてながら書いていた。サイトは毎日更新していても、「これ以上、文章を書き続けていて意味があるのかな?」と文章を書くことに疑問や停滞を感じている時期だった。

 そんな時期に「しろぬ〜ぼ〜」こと「高橋さん」は突然に目の前に現れた。そして高橋さんのサイトの『電子的独り言』が更新される度に訪れて読んでいた。

 ボクは読者登録した高橋さんのサイトに訪れて、過去の文章を読んでみた。

 そしてすぐにふつふつと疑問が湧いて来た。この高橋さんという人の書いた文章は、他のゲイブログを書いている人と何だか少し違っていた。

 ボクは高橋さんが、どんな人なのか全くイメージが湧いてこなかったのだ。 

<つづく>