最近、このサイトを通じて「ある人」とメールのやり取りをしている。過去にも何人かの方からメールをもらったことはあるけど、メールの返信を書いていて楽しい。
特定に誰かに宛てて書く文章ってこんなに面白いんだ……
手書きではないけれど、手紙を書いているような気分になって文章を書いていた。
別に、いつ途切れてもおかしくないやり取りだ。何日以内に返信するというルールも存在していない。ボクも彼に気が向いた時に、メールの返信をしている感じが続いている。
メールの返信を書きながら、ボクにとっては、同じような文章を書いているのに、このサイト上に書いている「本文」と「メール文」は全く違う文章を書いているように感じた。
このサイトに書く「本文」は不特定多数の方が読むことを考慮していて、頭のどこかで、常に知らない誰かが読むことを配慮しながら文章を書いている。そのせいで本当は書きたいけど、諸事情により削ってしまった内容が、かなりの量で存在する。それを書くとボクが誰だから分かってしまうというのが、削った主な理由がなんだけど、文章を削りながら「本文」よりも削った内容の方が面白いなんだけどと思いながら文を書いている。でも、制限がある環境も、それはそれで文章を書いてて面白い面もあって書き続けている。
ただ、
書きたいことがあるのに、書けないなんてもどかしい。
とも感じていた。
それが「メール文」を書くことにとって開放されたように感じていた。特定の誰かが相手に宛てて書く「メール文」となると、不特定の誰かが見ているという配慮をする必要がないから自由に書くことができた。
文章を書くのに「制限がある環境」と「制限がない環境」。どちらの環境も大切な場所になっていた。
少し前にサイト上からコメント欄を削除した。
別にコメント欄に、荒らしのコメントがついたから表示を消したわけではない。
ただ、ボクの中では明確な理由がある。
実を言うと、「コメント文」の返信内容を考えるのに、かなりの時間を割いていた。
なんで時間がかかるのかと言うと、「コメント文」は、特定の誰かに宛てて文章を書いているようで、不特定多数の誰かも書かれた文章を読んでいる環境で、ボクの中でどっちに向けて文章を書けばいいのか、あやふやな空間だったからだ。
自分のことが、つくづく考えるのが遅くて、不器用で嫌になるけど、書く文章を誰に宛てて書くのか簡単に切り分けることができない。
例えば、朝にもらったコメントを、夜に返信するのが普通だった。大体のコメントは投稿されて 30分以内に読んでいるにも関わらずだ。その間、朝から夜まで、ずっと頭の片隅で「どう返信しよう」と考えている。ようやく夜にコメントの返信を投稿して、「なんでこんな中途半端な内容を書いてるんだろう」と思って後悔していた。たった数行の「コメント文」を書くのにも、そんなザマだった。
特定の誰かに宛てて書く文章でもなく、不特定の誰かに宛てて書く文章もない、「コメント文」。そんなことに長く時間を使うのであれば、もっと「本文」や「メール文」を書くことに時間を使いたい思った。
コメントを貰っても返信する必要はないんじゃないか?
そうも思ったけど、それは嫌だった。きちんと時間を割いて文章を読んでくれて書いてくれたのに、それを無視するのは性格的に無理だった。
同じ文章を書くということに時間を使うのなら、自分が納得できる文章を書くために時間を使いたいと願った。
それがコメント欄を削除したのが理由。
同時にtwitterのアカウントも削除しようと思った。でもボクの中でtwitterは何人かの大切な人たちと繋がっている大切な場所だからで削除できなかった。
◇
6月24日の夜。そろそろ寝ようかと思っていたら、福岡に住んでいるゲイの方が、twitter上に天神の繁華街で殺人事件が起こったと書き込みをしていた。
どこで起こった事件なんだろう……
まだ事件の詳細は書いていなかったけど、ネットで調べてみると、ある小学校が事件現場と書かれていた。その小学校は近々取り壊して大規模な商業施設を建築する予定だと、ニュースで流れて知っていた。
ただ、事件現場を知ってボクは驚いた。
今年の3月末に、工藤慎太郎さんのライブに行ったことを書いているけど、そのライブハウスは、事件現場の小学校のすぐ向かいのだった。しかも、ボクはライブ開始前に、軽く胃の中に何か入れておこうと思って、裏口からこっそり小学校に入って食事していた。
小学校の中は、土木関係や役所の方など人で溢れていた。地べたにしゃがんで食事している人もいた。だからボクの存在を誰も気にしなかった。ボクは懐かしい感じがする小学校の建物を眺めながら壁にもたれて食事をした。
あんな取り壊し予定の建物で誰が殺されたんだろう?
そんなことを思いながら、ニュースを教えてくれた方と雑談してから眠りについた。
そして翌日の朝。殺されたのがブロガーのHagexさんだったと知った。
<つづく>