どんなに「ボクは大丈夫」だと思い込み、性病のことを忘れ去ろうとしても簡単に忘れることなんてできなかった。
そして徐々に体に変化が出てきた。
まずは食欲が無くなった。何を食べても美味しいと思えなくなって食事量が減った。それに何をしても楽しいと思えなくなっていた。心のどこで霧がかかっていて、今まで楽しいと思っていたことも、何が楽しかったのか分からなくなった。
まさか自分がここまで精神的に脆いと思っていなかった。
大学の同級生たちが、何の心配もなく生活していることが羨ましかった。
ボクは不審に思われないように表面上では彼らと笑いながら話していた。でも、ずっと頭の中では「性病」について考えていた。
まさか同性とフェラとバックをして、性病に感染していないか心配で堪らないなんて相談をすることはできなかった。
これは僕が自分から招いた「罰」だった。
家に帰って不安に襲われると「性病」や「HIV」というキーワードを検索した。それから症状説明を読みながら「ボクは大丈夫」と何度も言い聞かせていた。
そんなある日のことだった。
朝、起きてみると体調が悪かった。体温を測ると少し熱があった。
なかなか熱は下がらなかった。それから微熱の状態が数日間ほど続いた。最初の何日間は、全く気に留めることもなく、ただ風邪を引いたんだと思っていた。ただ、微熱が一週間近く続いた時点で「おかしい」と思った。
ボクの頭の中で「性病」の初期症状の説明がよぎった。いくつかの病気の中で、初期症状として微熱が続くという説明があった。特に「HIV」に感染したら、微熱が続くという説明が頭から離れなかった。
やっぱりHIVに感染してるのかな?
そのことに気がついと、頭の中がパニックになった。
HIVの検査が可能になるまで3ヶ月はかかる。まだ彼との接触から一ヶ月弱しか経っていなかった。残りは2ヶ月近くあった。
「まだ死にたくない」
と思った。
ボクは自己嫌悪を感じても「死にたい」と思ったことがほとんどない。せめて親が亡くなるまでは生きてあげたかった。
もしHIVだったして、どうやって親に説明をしよう? 病院に行くとして保険証を使ったら親に受診したことがバレないだろうか? もし感染していたら、どうやって治療を進めていけばいいんだろう?
これから先、どうやっていけばいいのか疑問は湧き上がってくるけど、何も分からなかった。この頃、まだインターネット上には、現在よりもHIVに関する情報が載っていなかった。検査場所も限られていて、京都市内でも一箇所くらいしかなかったはずだ。
一週間以上経って微熱がひいた。まだ精神的な混乱は続いていたけど、とりあえず検査をしないと何も始まらないことだけは確かだった。
カレンダーを見ると、やっぱり、まだ2ヶ月近くある。
でも早く真実を知りたかった。2ヶ月も我慢することができなかった。
ただ、早く真実を知る方法が一つだけ残されていた。
ボクは決意して携帯電話を手に持った。そして受信メールのフォルダを開いて、一ヶ月前のメールを探した。彼とのメールのやり取りは、ボクの携帯の中に残ったままだった。
<つづく>