映画『カランコエの花』の感想

カランコエの花

カランコエの花

  • 発売日: 2019/05/08
  • メディア: Prime Video
 

 

この映画、以前天神のKBCシネマで上映していたのは知っていたのだが、見る機会を逃してしまった。それがアマゾンで配信されていたので視聴することにした。

 

これ以降に書く文章は、映画の内容の根幹に触れるので、先に観てから読んでほしい。

 

あらすじを書くと、保健教師がLGBTをテーマに授業を行う。ここで、ある一つのクラスに対してのみLGBTのテーマの授業を行ったため、「このクラスにLGBTの生徒がいるのではないか?」と噂になってしまう。それがきっかけになり生徒の一部がLGBTの生徒を探し始めることになる。そんな中、〇〇〇はレズビアン」と生徒の氏名が黒板に書かれてクラス内は騒然となる。その黒板に文字を書いたのは当事者自身だった。

 

通常、この映画を見ている人は、LGBTの当事者を探している男子生徒らに対して、怒りを感じるのかもしれない。実は、僕は怒りを全く感じなかった。これは僕の実体験でも同じだった。僕は中学時代から高校時代にかけて自分がゲイであることをカミングアウトしていた。同級生からは揶揄われたり、「キモい」だの「死ね」だの散々に浴びせられたきた。そういった人たちを「相手をするのがめんどくさいな」とか思ったことはある。でもどちらかというと「怒り」とはもっと別の感情を抱いていた。

 

僕が彼らに抱いていた感情は「可哀そう」だ。

 

彼らに対して「怒り」よりも「憐み」の感情の方が強かった。分からないものに対する怯え、自分が虐められないように先に誰かを虐めの対象にしたいという怯え。そういった「自分の立場を守りたい」という感情が、彼らの言葉や態度からと感じ取れたからだ。むしろ僕には、そうやって怯えている人たちに対して「人間らしい」というか親近感する湧いてくる。そして、もう一つ大事なことは、誰かに「キモい」だの「死ね」だの傷つける言葉を言うことは、回りまわって自分自身を傷つけているを知っていた。誰かを言葉で傷つけることは、その言葉で自分自身をも傷つけていることを知っていた。自分自身を傷つけるのを止めて欲しいと思った。僕は別に君たちに何もしないし、僕ごときの取るに足らない存在に惑わされる必要はないと思った。

 

この映画を見ている人は、次に教師たちに対して、怒りを感じるのかもしれない。実は、僕はこれも怒りを感じなかった。くだらないことだとは思うが、教師の立場として、生徒から相談を受けたのであれば、学校の教師としての立場を取らなければならないのもわかる。生徒と教師という個人同士で済めば、当人たち同士の秘密で済んだのだろうが、教師の後ろには学校という組織がある。教師との立場として「相談を受けておいて後で何か問題が起こったら?」という考えて動く気持ちも、組織の中で仕事をしていれば分かる面もある。映画の最後。保健室でレズビアンの女子生徒と保健教師の会話が描かれている。そのシーンでレズビアンの女子生徒が好きな人に、自分が好きだと伝えるべきか迷っていたのは事実だ。彼女は自分でレズビアンであることを黒板に書いている。

 

何故、彼女は自分のことを書いたのだろうか?

 

好きな人に自分自身のこと、自分が好きだということを知ってほしいという気持ちで揺れていたのだろう。或る意味において教師の行動は軽率ではあったが、主人公の女子生徒にLGBTという言葉を考えさせる契機になったのも事実だ。そして彼女が好きな女の子に打ち明けるきっかけを作ることに繋がったのも事実だ。

 

この映画、カミングアウトした女子生徒を一番傷つけたのが、教師ではないのかもしれない。LGBTの当事者を探している男子生徒でもなければ、他の生徒達でもないのかもしれない。

 

それはカミングアウトした女性が好きだった主人公の女子生徒なのかもしれない。

 

その主人公の女子生徒は、黒板に書いた文字を消しながら「彼女はレズビアンではない」と言ったが、もしかしたらカミングアウトした女子生徒が望んだ言葉は、もっと別の言葉だったのではないだろうか。その言葉は彼女がレズビアンであること。彼女自身の存在を否定したことになってしまうのではないだろうか。もちろん黒板に書いたのが当事者本人だということを主人公の女子生徒は知らないし、彼女を庇おうとした気持ちから発せられたことも十分に理解できる。

 

もし僕がカミングアウトした当事者であったらならば、主人公の女子生徒に言ってほしかったのは「それがどうしたの?」といった言葉だ。僕はたった一人でも、「この人とは言葉が繋がっている」と感じられる人がいればそれでよかった。言葉が繋がらない人と話す時間があるなら、一人でいる時間の方が好きだった。言葉がつながらないと感じている人には最初から理解して欲しいとも思わないし、そういった人たちから裏切られようが、罵詈雑言を浴びせられようがどうでもよかった。彼女が一番聞きたかったのは、ある一人の一つの言葉だったのではないだろうか。

 

映画の中でも話されていたが「カランコエ」の花言葉は「あなたを守る」だ。守るとは相手を庇護するのではなく、そのまま丸ごと受け入れることなのではないだろうか。


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