「書きたいことは山ほどあるけど、書いてしまうと何かが零れ落ちてしまいそうで、記憶が薄れてしまいそうで書くことが出来ない日がある」
東京に着いた初日の夜。
僕はゲイブログを書いている「ある人」と会うことになって、彼の住む街まで電車に乗って向かった。そして中央線に乗っている時に、ふと興味が沸いてきて試しにゲイアプリを立ち上げてみた。そのアプリは過去にも使ったことはあったけど、あまり興味が持てずに直ぐに消してしまった。ただ、その日の昼過ぎに新宿2丁目に着いてから、「自分の近くにどれくらいのゲイがいるのだろう?」と興味本位でアプリを再度入れてみたのだった。
目的地に向かっている間、アプリの画面には新しい顔が次々と表示されては消えていった。電車の窓から外を眺めながら、「この線路沿いに果てしなく並んで立っている住宅街に沢山のゲイが住んでいるんだな」と思った。僕が住んでいる街と比べると人口密度は桁違いだった。本人が望めば望むほどに、多くの人に会える街だなと思った。
そうやってアプリの画面を眺めていると、
多くの人と会うこと。
それが果たして、本当に価値があるのだろうか?
という疑問が沸き起こってきた。この状況に何故か違和感がした。
そんなことを思いながら僕は目的地に着いて、ある人と会って駅近くのファミレスで話していた。当初は数時間ほど話して宿泊先のホテルに戻ることになるだろうと予想していたのだけれど、ある人との会話が楽しくて、ファミレスから彼の家に移動して朝まで話し込んでしまった。思い出せる限りで誰かと徹夜して会話したのは大学時代までさかのぼる。ただ大学時代で経験した徹夜よりも、よっぽど楽しい時間だった。
始発近い電車に乗って元の駅に戻りながら、
多くの出会うことに価値はない。
それよりも心から「出会えてよかった」と思える人と少なくてもいいから出会えればいい。
そう確信していた。そして、その出会いを価値あるものにできるかは、出会った人数が多いか少ないかではなく、自分の捉え方次第だと感じた。近年は人に多くあったり、本を多く読んだりするのが良いこととして思われているけれど、本当に大切なことは違う感じている。過去の人生を振り返りながら文章を書いてきたけど、もともと僕は多くの人と交じりあうよりも、少ないけれど特定の人と深く交じりあうことが好きだった。
恐らく、もう会うことはないと思うし、ネット上でも、やり取りすることはないけど、僕は「ある人」のサイト更新を今でも楽しみに待っている。あの最初の夜に、僕は彼と会って東京に来た目的の全てを果たしてしまった。
あの日から1年近く経った。それなのに僕はまだあの日のことを毎日のように思い出す。