土いじり日記(2024/3)

3/11

吉村昭『私の文学漂流』(新潮文庫)を読む予定だったが、変更して『鯨の絵巻』(新潮文庫)を読み始めて読み終えた。彼が帰りに寝てしまったので車で迎えに行った。一日中雨。明日も雨の予報。ブラタモリの最終回を一緒に見た。

 

3/10

吉村昭『磔』(文春文庫)を読み終えた。次に『私の文学漂流』(新潮文庫)を読み始めた。朝から21時過ぎまで来客もあって彼とあれやこれやと作業をした。

 

3/9

吉村昭『磔』(文春文庫)を読書中。僕は仕事。彼は休み。帰宅後も彼の作業を手伝ったりと22時くらいまでバタバタした。

 

3/8

吉村昭『帰艦セズ』(文春文庫)を読み終えた。次に『磔』(文春文庫)を読み始めた。

 

3/7

休日なのだが一人で彼のかわりにお使いをしたり忙しい日。夕方、軽トラで大量の荷物の移動をしたらバテてしまった。吉村昭『総員起シ』(文春文庫)を読み終えた。次に『帰艦セズ』(文春文庫)を読み始めた。

 

3/6

谷口桂子『吉村昭の人生作法 仕事の流儀から最期の選択まで』 (中公新書ラクレ)を読み終えた。次に吉村昭『総員起シ』(文春文庫)を読み始めた。二宮忠八を描いた『虹の翼』を読んだときも感じたが、。日々の生活に流れていく時間と、人生という止まった時間の両立が難しい。仕事や日々の雑事に追われてしまって生活の時間に追われて疲れてしまったいるが、両立はできるはずだ。というか生活の時間の基礎があって、その上に止まった時間があるものだと信じていて、どちらか一方にだけ時間を使っていてはいけないとも感じている。

3/5

吉村昭『虹の翼』(文春文庫)を読み終えた。次に谷口桂子『吉村昭の人生作法 仕事の流儀から最期の選択まで』 (中公新書ラクレ)を読み始めた。こういった類の本は読まないのだが、吉村昭に興味があるので読むことにした。

 

手術台上にあった私には、時間の経過が大きな救いになった。

しかし、健康な現在の私には、それが逆に畏怖の対象となっている。

時間は、とどまることなく経過してゆく。

私の肉体は生きているが、時間の経過は確実に私に死をあたえる。

生きてゆくことは、一刻一刻死に接近してゆくことなのである。 

 

僕も時間についてよく似たようなことを考えている。二宮忠八の小説でも「時間」というものが一つのテーマになっているように感じた。

 

3/4

吉村昭『虹の翼』(文春文庫)を読書中。仕事で23時に帰宅した。夕方から雨。職場の机周りを整理中。もともと片付いてはいるのだが、小物類の置く場所やコードの配線など見お直しをした。電源タップやUSBタイプCのケーブルなど不便に感じていた、いくつかの物の買い替えをした。

 

3/3

吉村昭『虹の翼』(文春文庫)を読書中。朝から夜まで彼と屋外で作業した。

 

3/2

吉村昭『虹の翼』(文春文庫)を読み始めた。僕は仕事で彼は休日。最後の寒波かと思われる寒さになった。

 

3/1

吉村昭『光る壁画』(新潮文庫)を読み終えた。次に『虹の翼』(文春文庫)を読む始めた。二宮忠八を主人公にした小説。以前から二宮忠八の存在は知っていて、香川県の山奥にある記念館に偶然訪れたことがあった。車に乗って直売所の存在をマップで見つけて向かう事になったのだが、途中の看板で「二宮忠八」の文字を目にして、こんな山奥に記念館があるのかと驚いた。しかも記念館の玄関前まで来て、その日は他に寄るところが沢山あったので、別に入らなくていいやと思って後にした記憶がある。二宮忠八の存在は、歴史の流れには大きく関与していないので重要視していなかったのだが、そんな二宮忠八を吉村昭が小説の題材として取り上げているので興味を持った。『敵討』のあとがきにも書かれていたが、吉村昭の性格上ある程度は歴史の流れに関与していないと小説に書くことはしないはずなので、どんな理由で書き始めたのか興味がある。