彼はそのまま目の前で寝ている観客を気にすることもなく歌い続けていた。酔っ払って寝ているせいか、かすかにいびきのような音まで聞こえていた。
ボクはどんな気持ちで歌い続けているのかが知りたくて、じっと彼の顔を見続けていた。でも彼は最後まで一切表情を変えることがなく歌い続けていた。
この人はなぜ歌い続けているんだろう……この人は何を伝えたくて歌い続けているんだろう。
ずっとそのことを考えづけていた。
一度壊した喉という爆弾を抱えながら歌う姿。喉は歌手としての命だと思う。そして命を削りながら寝ている客の前で歌っている姿を見ていると、ボクは胸が締め付けられるような気がした。「なんてカッコ悪くてカッコいいんだろう」と相反する気持ちを抱いていた。
ラストの手前で彼はデビュー曲を歌い始めた。ボクが社会人になって2年目くらいにラジオから流れていたあの歌だった。
東京にいた頃、休日になるといつも総武線沿いの喫茶店で本を読み続けながら、何か起きるのを待っていた。誰かが現れるのを待っていた。大学時代にあれこれと試してみた。でも結局は全てダメで、もうこのままゲイとしてずっと独りで生きていくしかないのかなという諦めの気持ちと、諦められない気持ちが葛藤している時期だった。
そんな自分の姿を思い出しながら聴いていると自然と涙が流れて来た。
「頑張ってください」
ボクはライブが終わってから出口に立つ彼に聞こえないくらい小さな声をかけて、一番最初にライブハウスから出て行った。
西鉄薬院駅に向かう道を歩きながら、年が明けてからもう一回ブログを立ち上げて文章を書いてみようと決意していた。
始めるまでの1ヶ月間くらいで文章を書くための準備をすることにした。それまでも過去の出来事を思い出してはメモしていた。でもブログを削除してからメモすることも止めていたけど再開しようと思った。
ボクは自分の過去の体験を書いて晒すことが怖かった。
中学時代や高校時代にカミングアウトしていたこと。大学時代からゲイであることを周囲に隠して有料ハッテン場に行ったりや出会い系の掲示板に書き込んでいたこと。社会人時代に周囲からホモ扱いされながらもゲイであることを隠して生き続けていたこと。
そんな過去のことを考えながら、さらに自分の内面と向き合いながら書くことが怖かった。それに自分の性体験を書くことの恥ずかしかった。
もう下手な素人文章で書いて笑われてもいいやと思った。
人に知られたくないような体験も多くしてきたけど、それを読んで笑われてもいいやとも思った。
一度や二度くらいの失敗がどうしたんだ 雨にも風にも負けない心を持て 負けない心を持て
ただ彼がそう歌うことを続けているように、ボクも一度書き始めたら、書くことを続けていこうと思った。自分が読みたいと思う文章がこの世になければ、それならば自分が書けばいいと思った。
ゲイであることに諦めて独りで生きていくつもりになっていたけど、諦める前に、もう一度あがいてみようと思った。
このサイトを始めるまでに、3つの歯車があった。
1つ目の歯車は石川大我さんの「ボクの彼氏はどこにいる?」を読んで、「読みたい文章」が見つかったこと。2つ目の歯車はchunkさんのサイトを読んで「書きたい文章」が見つかったこと。3つ目の歯車は「文章を書く勇気」だった。
ようやく最後の3つの歯車が噛み合って全ての歯車が回り始めた瞬間だった。
そしてこのサイトを書き始めることになる。
<つづく>