ライナーノーツ<30>~LGBTブームと気持ちの変化~

現在、この文章に書いている場所に天神のジュンク堂は存在しない。喫茶店も存在しない。天神は目下、再開発中で大きく様変わりすることになっている。このジュンク堂という場所は、このサイト内で何度も登場した場所だ。僕と付き合っている彼にとっても思い入れのある場所で、付き合う前もよく訪れていて、付き合い始めた後も、天神にいけば一度は訪れて散策して過ごした場所だ。この章の中で、3階の専門書スペースにLGBT特設のコーナーが設けられていたことを書いている。その約1年後には、彼と一緒に同じ階の農業の専門書の棚に訪れることになろうとは夢にも思わなかった。それまで農業の棚には全く足を運んだことがなく存在すら知らなかった。

 

この章の7番目の文章に「分かち合うこと」について書いている。

 

例えば彼は植物が好きなのだけれど、この植物に関しても僕たちの視点は全く違う。

 

彼は「いろいろな品種の植物を育てて料理して食べる」ことに興味がある。一方、僕は「生きていく上で植物を育てて食べるとはいうことは何か?」ことについて興味がある。この点、僕たちは興味の対象が全く違っているのだけれど、こういった視点の違いが面白い。僕はかなり極端で「この本質は何か?」ということしか興味がない。その点、彼は大体において視点が違っている。一人でいれば、一人の視点でしか生きていけないけど、誰かといれば全く別の視点が同時に持てる。それは一つの経験を「分かち合う」ということなのだろう。

 

少し前に『言葉の力』という章を書いた。その章の最後に「まずは言葉にしなければ、言葉として発してみなければ、言葉にして書いてみなければ何も始まらないのだ。」と書いた。確かに言葉にしなかければ何も始まらないのだが、それにもう一つ付け加えるのなら「同時に生きてみなれば何も始まらないのだ」という文章を付け加えたい。言葉として考えているだけではなく、その言葉は必ず生きることに根付いていなくてはならない。僕が彼のやりたいこと。やっていることに賛同して一緒にやっているのは一緒に生きていきたいからだ。

 

2018年は、僕の中で沢山の分岐点と出会った年だった。それだけよく生きた年だった。