言葉の力<2>

僕には付き合っている彼がいる。もうすぐ付き合い始めて2年になる。

 

そもそもの出会いのきっかけは、彼がこのサイトに辿りついて読み始めたことからだ。当然、文章を書いている僕の方は彼のような読者の存在を知る由もない。それから半年近く経って、ようやく彼からメールが来て実際に会うことになった。2回目に会った時、夜の大濠公園を散歩しながら話をした。

 

その時に、彼が話した「ある言葉」を聞いて、僕は「この人となら分かり合える」と感じた。それは僕たちと同じゲイの人たちに対する「問いかけ」のような言葉だった。彼に言われて気がついたのだが、それは僕がゲイの世界に足を踏み入れてから感じたことでもあった。その問いかけを抱き、ゲイの世界に深く足を踏み入れることもなく端っこに座ったままでいた。そして、その問いかけの答えを探すべく、このサイトに文章を書き始めたのだ。

 

人と人をつなぐのは言葉だ。

 

僕が書いた言葉、彼が話した言葉を通して、僕たちは出会った。こういう言葉同士が結びつくことを「分かり合う」というのだろう。

 

人は言葉を同じくして出会い、言葉を異にして別れる。

 

人と人をつなぐ言葉の中でも「問いかけ」は特に力強い。人と人をつなぐ言葉は「答え」ではなく「問いかけ」だ。

 

自分の言葉と相手の言葉が、しっかりと分かり合って結びつく感覚。

 

あの感覚。大好きなんです。

 

あのしっかりと結びついたという快感。この感覚が一人からでも得られれば、はっきり言って他に何人も人と結びつく必要なんてない。人生の、その場面、その場面に、「この人とは言葉で結びついている」と一人でも感じられる人がいれば、生きていける。そんな人は二人も三人も必要としていないんです。僕は狭く深く人と付き合うのが好きだから、そんな人が二人も三人もいたら身が持たない。はっきり言って、この言葉が結びついているという感覚が味わえない人と沢山出会っても意味がない。

 

ただ、そもそも彼のように言葉と言葉が結びつくように感じる人は、100人に1人いるかどうかぐらいの割合でしかいない。思い返せば、過去に好きになった人たちも、皆どこか印象的な言葉を残していた。僕にとって救いだったのは、そういった人が常に一人は側にいて、その一人と友達になれたことだった。

 

一方、「この人とは言葉を通じて繋がっている」と感じていた人と別れる時がある。

 

僕は言葉を通じて繋がれていると感じている人でも、学校を卒業したり、転職したりして、同じ時間を共有できなくなると自分から連絡を取って会おうとしない。その人と数年ぶりに会って話した時、「あれだけ過去に言葉が通じあっていたのに」と悲しくなるくらいに言葉が離れてしまっていると感じるからだ。

 

あの感覚。大嫌いなんです。

 

何故、つながっていた言葉が離れてしまうのか?

 

ある段階で、話された言葉よりも、話されていない言葉の方が重要になる。例えば、付き合っている彼が話す言葉の奥に、どれだけ話していない言葉が眠っているのか。それを感じるには一緒にいるという時間が必要だ。一緒に過ごして、一緒に感じて、感じたことを一緒に語り合うことが必要だ。

  

言葉をつなぐには、一緒にいて共有することが大切なのだろう。

 

<つづく>