言葉の力<3>

子供の頃から言葉について興味があった。

 

最初に言葉について興味を持ったきっかけは「中島みゆき」との出会いからだ。僕は、彼女から「言葉の解釈の多様性」について学んだ。それに「言葉の美しさ」について教えてくれた。

 

子供の頃、中島みゆきの『愛していると云ってくれ』『親愛なるものへ』『生きていてもいいですか』『臨月』『寒水魚』というアルバムのカセットテープが車の中にあった。それらのテープを両親が車の中で繰り返し流しているのを聴いていた。そんな中、彼女の『親愛なるものへ』というアルバムが、特にお気に入りになった。アルバムの最初の曲から最後の曲まで全部が好きだった。僕が中島みゆきの曲に興味を持っていることに気がついた両親は、中島みゆきが好きな父の友人からテープにダビングしてもらって車の中で流してくれた。


「『生きる手だては あざないものと』って、『あざない』って何?」(曲名:断崖─親愛なる者へ─)

「『他人の笑顔が悔しい そんなことばが心を飛び出して飛び出して走り出しそうだ』って、よくも書けたな」(曲名:幸福論)

「『見まごうばかり変わってあげる』って、『見まごうばかり』って何?」(曲名:見返り美人)

「『日に日に強まる吹雪は なお強まるかもしれない』って、最初から最後の歌詞まで何が言いたいか分からん」(曲名:吹雪)

「『笑う人は笑わせておけばいいわ 人生は短くて忙しいの』って、確かにそうだよね」(曲名:夢みる勇気)

 

数え上げればきりがないが、僕にとって彼女の書く歌詞は「言葉の爆弾」とでも言うのべきか、とにかく驚きに溢れていた。

 

彼女の書いた詩に出てくる言葉は、小学時代の僕にとっては知らない言葉だらけだった。分からない歌詞、分からない言葉があると、両親に「これはどう解釈したらいいのか?」と質問して困らせていた。そのうち自分で辞書で調べたりするようになった。

 

そして「この詩を書いた人は沢山言葉を知っているな」と感心していた。それと同時に「この詩を書いた人は、この言葉をどうして使ったのだろう?」と疑問に思ったりしていた。車の中で「狼にぃーなりたいぃー♪」という曲の聴きながら、歌詞に沿って頭の中で情景を描いたりしていた。女性の失恋を描いた曲も多かった。もちろん小学生低学年は男女の恋愛感情に関しても無知だった。ただ「この人の歌詞は、他の歌手の歌詞と迫力が違う」と感心していた。そして「言葉が美しい」と感じていた。言葉を美しいと感じた初めての経験だった。

 

当時、歌っている本人が詩を書いているとは気がついておらず、そもそも歌っている人の名前。「中島みゆき」という名前すら、はっきり知らないまま聞いていた。「凄く変わった歌手がいる」というくらいの認識でいた。

 

それから数年が経って、小学生の高学年になりCDプレイヤーを自分で買った。この頃になって、ようやく歌っている人の名前が「中島みゆき」と認識できるようになっていた。CDの販売店に行き、中島みゆきのCDが置いている棚の前に立って、どれを買おうか悩んでいるときだった。

 

中学生の兄が側にいて「中島みゆきなら『with』という曲が一番いいよ」と言った。

 

僕は三歳年上の兄の物を選ぶセンスをとても信頼していた。子供の頃から漫画本を読むにも、テレビ番組を見るにも、何をするにしても強い影響を受けていた。その兄が選ぶものなら外れがないと感じていたので、早速、その曲が入ったアルバムを買った。後日、兄に「どこでこの曲のことを知ったの?」と質問すると「ラジオで流れているのを聴いた」「中島みゆきが書いた歌詞の中で一番カッコいい!」と言っていた。兄は車で流れている彼女の曲に関して、それほど感心を示していなかったのだけれど、この曲は非常に気に入っていた。

 

この『with』という曲。

 

僕のことばは意味をなさない  まるで遠い砂漠を旅してるみたいだね 

 

 

という歌い出しから始まる。

 

小学生の僕には「僕のことばは意味をなさない 」という歌詞は、とても引っかかった。

 

<つづく>