言葉の力<7>

2年くらい前だったろうか、ゲイの方から「モテようと努力しないんですか?」とネット上で質問された。正確に覚えていないのだれけど、確かそんな感じのニュアンスで言われたはずだ。その言葉を聞いて「この人は何を言ってるんだろう?」とポカーンとしてしまった。その場では当たり障りのない答えをして流したけど、僕としては逆に「どうしてモテる必要があるんですか?」と質問してみたかった。

 

後になって我が身を振り返ると、このサイトにも「どうやったらモテる」だの「身体を鍛える」だの「髪型を変える」だの、そんなことを書いた記憶がないことに気がついた。そんな外見的なものをいじっても人としての本質的な所は変わらないだろうと思っていた。

 

そういった話題の会話には全く興味がない。

 

僕には見ず知らずの人からモテたいという感覚がなく、そもそも「この人とは言葉で繋がれそうだな」と感じている人以外から関心を持たれるのは煩わしいだけじゃないだろうか。言葉の大切さ気がついている人は、同じように言葉を大切にしている人を見抜く。

 

テレビに出ている芸能人にも興味がない。そんな興味ない人たちの名前を覚えるのに頭を使うことすら面倒くさい。ここ数年で、僕が興味を持った人は、編集者。噺家。小説家。彼らの共通点と言えば、どこか言葉に関係した仕事をしている所くらいだろうか。たまたま見かけた、その人たちの会話をじっくり聞いて、「この人とは言葉で繋がれそうだな」と感じて興味を持つ、それから「この人は素敵だな」と入っていく。

 

先に書いた小説家は、小野正嗣という方のことだ。

 

彼が大分の母校で行った「言葉を大切にするってことはですね。自分を大切にするってことです」から始まる講演[※1]を聞いた。その講演の中で、彼は「読むということは祈るということに似ている」と言っていたが、同時に彼は「書くということは、より本質的に祈ることに似ている」ということに気がついているはずだ。あの講演会の会場に、高校時代の僕がいれば「この人は今大切なことを話している」と耳を傾けただろう。大人になった僕がいれば「あなたの言いたいことが分かる」と笑いながら頷いていただろう。

 

僕には彼が母校の講演会という場所で高校生に向かって、なぜこんな話をしているのかも理由まで分かる。僕がゲイブログという、全く関係なさそうな場所で、この文章を書いている理由と変わらないはずだ。

 

もともと僕は人の「知性」に惹かれる面が強いらしい。

 

僕にとっての知性とは「事象の本質を見抜くことができる力」ことを意味している。勉強ができるとか、物事をよく知っているとかは値しない。また「事象の本質に向き合って考え続けることができる力」を持つ人に惹かれる。本質的なことに目を向けていると、そもそも「分からない」といった壁にぶつかるのだけれど、その状況下でも考え続けて、そこから得たものを言葉として遺していく人を尊敬する。

 

子どもの頃から、流行というものとは無縁だった。

 

大学時代からはテレビを持っておらず、かれこれ10年近くテレビがない生活を送っていた。福岡で生活するようになってから、ようやくテレビを買ってみたもののNHKのニュース番組を、ご飯を食べながら見るか、皿を洗いながら背中で音声として聴くくらいだった。くだらないニュースやスポーツコーナーが流れ始めたら音声を消すか電源を切っていた。後は2つか3つの特定の番組を録画して倍速で見るくらいしか利用していなかった。

 

昨年の年末。皿を洗いながらテレビで流れるNHKニュースを聞いていたのだが、流行語に「パプリカ」という言葉がノミネートされていた。僕は「確かに『パプリカ』はスーパーマーケットに置いてるけど、そんなに今年になって出荷しているのかな?」と思いながら彼と話していたけど、どこか二人の話にはすれ違いがあった。しばらくしてから僕の勘違いに気づいた彼から「このニュースで言っている『パプリカ』は曲名のことだよ」と指摘を受けた。僕の頭の中では『パプリカ』という言葉は「野菜」という認識でしかなかったけど、どうやら世間的には「曲名」という認識になるらしかった。

 

一事が万事、こんな状況だ。

 

同じNHKで雑学紹介のような番組がある。その番組内で紹介される雑学を知らないと出演している芸能人がぬいぐるみから怒られるという構成だった。僕は「なぜ知らないので怒られる必要があるのだろうか?」と不思議でたまらない。雑学的なことを、知る。知らない。で何故怒られる必要があるのだろうか。

 

もっと大事なのは考えることだ。

 

僕にとって興味があるのは。知る。知らない。ではなく、分かる。分からない。ということのほうだ。

 

よく親を含めて周囲から「最低限でもいいから流行を知っていた方がいいよ」と言われていたのだが、本人には全く改善しようという意思がなかった。そんなことを知らなくて離れて行くような人なら最初から話す必要がないと考えていた。別に同級生や同僚と話が合わなくても気にならなかった。

 

時代の流れとともに価値が変わるものなんて追いかけてもしょうがないと考えていた。僕にとって興味があったのものは、どんなに時代が流れても変わらないものだった。

 

<つづく>

 

[※1]動画の4:25~8:03

https://www.youtube.com/watch?v=bUynyz4JCvY