全ての人に共通している点。それこそが人間として本質的なものなのではないだろうか。本質的なことは、自分という一人の人間を超えて全ての人に共通しているからこそ価値があるのではないだろうか。
全ての人に共通している点とは、「生きていること」だったり「死ぬこと」だったり、そもそも「自分が存在していること」についてだったりするのかもしれない。たまたま僕にとっては、それが「言葉」だった。
こういった本質的な問いの先にあるものが「真理」だ。全ての人に開かれた本質的なものだからこそ「真理」へとつながっているのだ。
僕には人と人の違う点よりも、誰にとっても同じものの方にこそ価値があるように感じる。逆に、違う点に目を向けてばかりいると、いつまで経っても交わることがなく先細りしていくことになるだけだ。
もし違う点に目を向けるのであれば、まずは人と人の同じ点に十分に目を向けてから、人と人の違う点に目を向けるべきではないだろうか。
そもそも本質的なものに目を向けて考えて生きていると、人としての違いのような個性とかいうものは自然とにじみ出てくるものではないだろうか。
僕自身、自分がゲイであることに悩んだことは少なかった。
「なんで自分がゲイなんだろう?」という問いかけよりも、「なんで自分が存在しているんだろう?」という問いかけの方が、よっぽど深く本質的なはずだ。そういった本質的な問いをどう考えるかによって、それから先の考えも変わってくるはずだ。僕には自分がゲイであることを考えるよりも「言葉」について考えている方が、本質的で興味深い問いかけだった。自分の問いは言葉に遺され、別の人に受け継がれていく。そして新たな問いを生んでいく。だからこそ2000年以上前に書かれた書物が未だに読まれている。問いかけは人と人をつなぐ言葉となる。
まず最初に目を向けるべきなのは、人と人の違う点ではない。
むしろ人と人の同じ点ではないのだろうか。
<つづく>