言葉の力<15>

このサイトで文章を書き始めてから痛感したことがある。

 

それは本当のことは書けないということだ。

 

このサイトでは過去の出来事を多く書いている。小学時代、中学時代、高校時代、大学時代、社会人時代と振り返ってきた。僕は割と記憶力がいい方だ。それで過去のことを思い出しながら、「あの時はこんなことがあったな」とか「あの時はこんなことを話したな」とか思い出しながら書いた。でも100パーセント正確なのかというと絶対に違う。僕がその経験をした時の感覚、それをもらすことなく書き表せているかと言えば、正確に書けていない。そこには必ず嘘がある。

 

このブログ上で書いた中で、僕の身に実際に起こった時間と、実際に文章を書いた時間、その感覚が一番短い文章は『10年ぶりのカミングアウト』というタイトルで書かれたものだ。熊本の辛島公園で行った出来事で、それからすぐにタクシーに乗って熊本駅に着いてから文章を書き始めた。文章を書き始めるまでに30分もかかっておらず、1時間くらいで文章の骨子は書き終わったのだけれど、それでさえ自分が体験した全て、自分が感じた全てを書くことはできていない。

 

僕の中で、「本当のことをどうにかして書きたい」という気持ちと、「本当のことがどうしても書けない」という引き裂かれた気持ちで揺れていた。ある時期から、僕の中で「自分は本当のことを書いているのだろうか?」「自分は嘘のことしか書いていないのではないだろうか?」と疑問が沸き起こっていた。

 

よくよく考えてみると、僕たちは言葉を使うことで嘘ばかりついている。

 

例えば、通勤途中に綺麗な花を観て感動したとして、それを職場の同僚に説明する。でも真実を伝えることはできない。その時の感動した気持ちは、どんなに言葉を尽くしても今という時間が過ぎた瞬間に、正確に伝えることはできない。小説や詩だって実際に行っていない出来事を言葉で表している。ニュースだって同じようなものだ。

 

それなら本当のことはどこにあるのだろうか?

 

僕の方でも意図して嘘を使っている時もある、実際に起こった出来事を年代をずらして書いているときもある。これは「この順番にした方が読んでいる人が分かりやすいかもしれない」と言う理由だったり、「これを書いたら、実際に僕のことを知っている人が読んだら誰が書いたか分かるだろうな」という理由だったりする。 こうやって僕が嘘をつこうとしていることは、本当のことである。

 

僕たちはどうやっても本当のことを書くことはできない。嘘の言葉を使って本当のことを表現するしかできない。  僕の書く文章には「嘘」が含まれている。それと同時に、まさに今こうやって文章を書いている僕自身の「本当」が含まれている。この文章を書いた瞬間の「本当」の感情がある。 

 

こうやって書かれた言葉の中に、僕の「嘘」と「本当」は混じり合っている。

 

<つづく>