生ごみの収集癖ー続ー

生ごみ収集の習慣がついてからというもの、僕はどんどん生ごみに敏感になっていった。

 

ある日、朝の通勤途中にアパートのごみ収集場に目が付いた。僕の生ごみセンサーがゴミ収集場のゴミ袋に反応したのだ。僕からすればごみ収集場は宝の山である。それからというもの、ごみの回収日は、自然とごみ袋へと目が行くようになった。そして「あぁー。ピーマンと人参の切りくずがあるー」とか「バナナとキウイの皮があるー」とか、生ごみを見つけては、喉から手が出てくる思いに駆られた。そんなごみ収集場の宝の山を見ていて、頭の中で「このごみ袋の中に入っている生ごみを持って帰れないか?」という考えが浮かんだ。いや、実際に「その生ごみ持って帰ろうと」とごみ袋に手を伸ばしかけたのだが、ただ、そこで冷静になってごみ袋を持ち帰っている自分の姿を想像してみた。近くで小学生の通学の付き添いで保護者が集まっている中、スーツ姿の男性が「ぐへへへぇ。宝の山じゃ。誰にも渡さんのじゃあ」と言ってごみを漁っている。そんな自分の姿を想像してみた。

 

僕は思い直して、泣く泣く生ごみを持ち帰ることを諦めた。

 

それに他人が捨てたごみとはいえ拾って持ち帰ると違法になる可能性もある。「通勤途中にごみ収集場から生ごみの持ち帰り、理由は畑に撒きたかった。30代の男性逮捕」なんて見出しでヤフーニュースに掲載されて、コメント欄で馬鹿にされたくはない。そんな僕のライバルはカラスである。カラスがゴミ袋をつついてあさっている姿を見て「お前たちは生ごみをどうどうと漁れていいな」と羨ましく思った。

 

場面が変わって。年末年始に実家に帰省した際のことである。

 

実家で食事をしたのだが、両親。兄夫婦に子供。僕。この人数で食事をすれば生ごみが大量に出てくる。両親はゴミ箱にぽいぽいと生ごみを捨てていたが、僕からすればごみ箱は宝の山である。そのゴミ箱を見て、頭の中で「この生ごみを福岡まで持って帰れないか?」という考えが浮かんだ。いや、実際に両親に対して「その生ごみ持って帰ります」と口の先まででかかったのだが、そこで冷静になって生ゴミを持ち帰っている自分の姿を想像してみた。帰省ラッシュの新幹線の中で生ごみ入りの異臭を放つ袋を持っている自分の姿を想像してみた。

 

僕は思い直して、泣く泣く生ごみを持ち帰ることを諦めた。

 

いつかどこかの新幹線や駅のホームで生ごみの入ったゴミ袋をかついでいる人を見かけたら、それは僕かもしれない。

 

ちなみに。一緒に農作業をしている彼の方である。

 

彼は「ウ〇チやシッ〇を畑に撒けないか?」と言い出したことがある。確かに昔の人たちは下水設備もないし畑に撒いたりしていたんだけど、いくら僕もウ〇チやシッ〇を再利用するのは躊躇った。

 

ただ、誰かに収穫した野菜をあげたとして「あのキュウリは美味しかったですよ」と言われて、「いやーあのキュウリは僕たちのウ〇チやシッ〇を堆肥にして育ててるんで美味しいですよ」と言って、どんな反応があるのか楽しみではある。

 

<終わり>