土いじり日記(2024/1)

2024/1/31

吉村昭『わたしの普段着』(新潮文庫)を読み終えた。次に吉村昭『冬の鷹』(新潮文庫)を読み始めた。この本はとても面白い。作者も楽しみながら書いているのが感じられる。昨日に続いて今日も雑談をしながら添い寝。本格的に寝る前には自分の布団に移動させる。以前から感じていたのだが、僕は父性と母性の両面をほどよく持っているのだと感じる。職場で「母親みたい」とよく言われるのだが、もともと男性で父性も持っているのが、同時に母親からの影響を強く受けて、他の男性よりも母性も強く持っているようだ。色々な人にあった来たが、ゲイの人は育っていく過程で父性面の支えを欠落している人が多いと感じている。母子家庭だったり、家庭内で父母の仲が悪かったりと、僕の場合は、父親が仕事でほとんど不在だったので前者になる。父性面を強く求めている人には、僕は中途半端な存在なのだろうが、両面を求めている人もいて、そういう人との相性が良いように感じる。そういう人というは、大人になっても子供のような側面を強く持っている人ということになるのだが、僕はそういった側面を持つ人が好きらしい。

 

2024/1/30

吉村昭『ニコライ遭難』(新潮文庫)を読み終えた。先に読んだ『赤い人』にも出てきた津田三蔵が起こした大津事件を扱った小説。事件の舞台となる大津には大学時代に一度用事があって訪れたことがあった。小説を読みながら地図を確認していると、用事があった建物のすぐ近くが現場だった。当時はスマホの地図アプリのようなものがなく気が付かなかったのだが、惜しいことをした。吉村昭の書いた本を読んでいると、作品を書いていて、作品に出てくる、ある人物やある事件に興味を持って次の作品を書いているという流れのようなものが感じられて興味深い。次に吉村昭『わたしの普段着』(新潮文庫)を読む予定。仕事から帰宅してNHK映像の世紀バタフライエフェクト『世界が揺れた2つの年 1968と1989』を視聴した。それと漫画本の『昭和天皇物語(14)』(小学館)が発売されたので読んだ。


2024/1/29

吉村昭『赤い人』(講談社文庫)を読み終わった。ちょうど知り合いの何人かがスキー旅行で北海道に行っていて、そのスキー場までの道程が囚人たちの過酷な労働によって切り開かれているのだと考えながら読み進めた。次に吉村昭『ニコライ遭難』(新潮文庫)を読み始めた。以前読んだ、遠藤周作『私にとって神とは』​に書かれた言葉。

小説家として私は、実在の事実を使って、事実を超えた世界を創ります。そして、その世界は、事実よりも、もっと人間にとって真実だという確信を持っていますし、その確信を持たねば作家ではありえなかったでしょう。

 

事実と真実。本当と嘘。について、あれこれ考える。

 

2024/1/28

来客があって彼と一緒に作業。朝早くから夕方まで作業して疲れたので21時半には就寝。吉村昭『赤い人』(講談社文庫)を読み始めた。吉村昭は監獄、脱走の話をよく書くがどういった経緯で関心を持って書いていたのか気になる。彼の作品を読んでいると、事実とは何か?真実とは何か?について考えさせられる。どちらが優れているとは関係ないが、例えば歴史小説家の大家の司馬遼太郎のような小説家が描いた作品とは違っている。真実を描くために、ある程度の事実を追いながら嘘を交えて書くのも手段であれば、吉村昭のように事実を追える範囲のギリギリまで追っていき、事実が追えない場合、時には書くことを切り捨てるまでしている。そこまでして作品の中に真実を描こうとする姿勢に興味がある。

 

2024/1/27

土曜日だが仕事。彼は休みで来客があって来客者と作業をしていた。彼は一日中作業だったので21時半には就寝。僕の方は読書をしてゆっくり読書をして過ごした。隣でかなり酷いいびきをかいていて面白かった。22時過ぎに起こして自分の布団で寝させた。吉村昭『夜明けの雷鳴 医師 高松凌雲』 (文春文庫)を読んだ。もうしばらく吉村昭を読んでいく予定。吉村昭と他の歴史小説を書いている人と違いが興味深くて、今更だけど吉村昭について興味が高まっている。彼についてかかれた自伝も読んでみたい。

 

2024/1/26

休日。彼は仕事だったのでぽつぽつと休憩の合間を縫って作業をした。明日は来客があるので準備をしたり、今後の作業に必要な買い物をしたりした。吉村昭『アメリカ彦蔵』(新潮文庫)を読み終えた。洗礼を受けたのでキリスト禁教中の日本には戻れず、アメリカ人に帰化。日本は尊王攘夷。アメリカ南北戦争と、どちらの国にも落ち着けない。漂流してアメリカに渡って語学を勉強して、幕末の時期は日本語と英語が両方できるので重宝がられていたが、明治になって語学が堪能な人材が増えて希少性がなくなった。年を取るつれて孤独になっていく様に、生きるとは?生きていくために必要なことは?と考えさせられた。次は吉村昭『夜明けの雷鳴 医師 高松凌雲』 (文春文庫)を読む予定。

 

2024/1/25

吉村昭『アメリカ彦蔵』(新潮文庫)を読み始めた。

 

最近、職場の人間関係に悩んでいる人からよく相談される。

 

人間関係には終わりがない。

 

ある一人と人間関係がこじれて、それが回復出来たとしても、必ず次の人間関係がこじれてくる。今まで長く仲が良かった人でも、ひょんなことから人間関係が崩れることもある。サラリーマンの仕事内容を冷静になって見ると人間関係の調整ばかりしている。どんなに人間関係の調整がうまくても定年を迎えて老人になれば世間的には邪魔者になってしまう。こんなことを書くと人間関係とは距離を取って孤独になる方がよいと勧めていると思われるかもしれないが、それも違う。人間関係はどこまで逃げても必ずついて回るし、逃げ切れない。人間の孤独を本質的に癒やすことが出来るのは人間の存在だ。また孤独だと感じさせるものも人間の存在だ。その本質から目をそらして生きていると短期的には楽かもしれないけど、長期的に苦しくなると思う。人間関係から逃げずに向き合うことは大事だけれど、人間関係とは別の何かものや作業など、自分と人間以外のものと向き合う時間を持つことが必要だと思う。


2023/1/24

雪が積もった中を通勤した。調子にのって自転車を漕いでいたら橋の道路が凍っていて横転してしまった。右足の膝と左手の親指から出血。吉村昭『彰義隊』(新潮文庫)を読み終えた。他の書籍では幕末の老中たちは鳥羽・伏見の戦い以降、急に出てこなくなる。そんな彼らの顛末が描かれていて興味深かった。次は楽しみにしていた吉村昭『アメリカ彦蔵』(新潮文庫)を読む予定。

 

2024/1/23

福岡はかなりの積雪。吉村昭『生麦事件(下)』(新潮文庫)を読み終えた。薩英戦争後も幕末史が進んでいってどこまで描いていくのだろう?と思いながら読んでいたら、ある時点で、生麦村が出てきて、その村を行き交う人々が描かれて小説は終わった。書名の通り、生麦事件の舞台から始まって、生麦村で終わった。映像の世紀『石油 世界を動かした“血”の百年』を視聴した。次に吉村昭『彰義隊』(新潮文庫)を読み始めた。明日は雪が積もっているので早めに家を出る予定。

 

2024/1/22

明日から寒波。雪が降る予報。吉村昭『生麦事件(上)』(新潮文庫)を読み終えた。続けて下巻を読み始めた。上巻では生麦事件から薩英戦争が始まる直前まで描かれていた。幕府と外国との通訳として浜田彦蔵がぽつぽつと登場しているが、吉村昭『アメリカ彦蔵』の主人公。以前から作品の存在は知っていたので近いうちに読んでみる。

 

2024/1/21

一日中、来客対応をしながら作業。吉村昭『生麦事件(上)』(新潮文庫)を読み始めた。二日続けての作業だったので疲れ果ててしまって早めに就寝。僕らの共通の知人が年明けに亡くなっていたことを知った。もともと彼の友人で僕らの家に何度か来たことがある人。60歳とまだ若い年齢だったが去年から体調を崩して入退院を繰り返していた。数日前から、なんだか胸騒ぎがしたので、彼に「連絡を取ってみたら?」と言ったが数日間、連絡がつかなかった。その方の家族がスマホの着信を見て折り返してくれて状況が分かった。

 

2024/1/20

休日。雨が降る予報だったが。朝から夕方まで。雨の合間を縫って彼と作業した。吉村昭『三陸海岸大津波』(文春文庫)を読んだ。明治(1回)、昭和2回(そのうち1回はチリ発生の地震が原因)に起こった津波について描かれていた。老人たちの発言が原因となって思ったより死者が出ていたことに驚く。

 

「天候は晴れだし、冬だから津波はこない」

と、断言し、それを信じたほとんどの人は再び眠りの中に落ちこんでいった。

 

老人たちの語る過去の話も大切だが、直感に従って行動をすることも大事。津波被害後に、高台に住むように指示されていたけど、漁師を営む生活の便利さから再び海岸近くの低地に移り住んで昭和の津波で被害にあった点が興味深い。書かれた文章や人づての語りなどで津波被害は伝承されてきた。3.11の場合、津波被害が動画という形で多く残っている。これが後世の行動にどう影響を与えていくのだろうか。

 

2024/1/19

吉村昭『仮釈放』(新潮文庫)を読み終えた。以前、作者の講演会をyoutubeで聴いたが、虚構小説、戦史小説(生存者に聞き取り、資料を調べて書かれた小説)、歴史小説(生存者がいないため資料を調べ、現地を取材して書かれた小説)、医療小説など分けて自身の作品を説明していた。この作品は虚構小説ではあるが、かなり仮釈放者らに聞き取りをして書かれたことが分かった。あまり期待はしていなかったのが、面白くて一気に読み終えた。

 

2024/1/18

吉村昭『桜田門外ノ変(下)』(新潮文庫)を読み終わった。次に『仮釈放』(新潮文庫)を読み始めた。夜は21時にはすべて片付けが終わって電気を消した静かな部屋で、雨の音を聴きながら、のんびり会話して過ごした。


2024/1/17

仕事から帰宅して晩ごはんを食べてから、映像の世紀『ふたつの超大国 米中の百年』を視聴。中国の清華大学からアメリカに留学して工学を学び。朝鮮戦争などの冷戦の関係悪化でアメリカから中国に戻ってきてミサイル開発、人工衛星の開発に関わった銭学森が晩年にアメリカ時代の友人に語った言葉。

 

フランク。我々は中国のために多くのことをしてきた。

人々は十分な食料を手に入れ働き進歩している。

でもフランク。彼らは幸せではないんだ。

 

吉村昭『桜田門外ノ変(上)』(新潮文庫)を読んだので下巻を読み始めた。昨日が遅くまで仕事だったので22時には就寝する。

 

2024/1/16

吉村昭『落日の宴 勘定奉行 川路聖謨(下)』(講談社文庫)を読み終わった。昨日の日記で安政の大地震に触れたが、小説の後半まで余震が続く。江戸でも大きな地震が起こって重要人物の死者も出てくる。安政の大地震は個人の人生にも大きく影響を与え、歴史にも大きな影響を与えている。次にまたもや吉村昭『桜田門外ノ変(上)』(新潮文庫)を読み始めた。主人公の関鉄之介の顔が、みなもと太郎の『風雲児たち』で描かれていた鉄人28号に置き換えながら読んでしまう。昼から仕事だったので23時に帰宅。

 

2024/1/15

吉村昭『落日の宴 勘定奉行 川路聖謨(上)』(講談社文庫)を読み終わった。次に下巻を読み始めた。話が下田に移ってから安政の大地震のシーンが描かれていて、下巻の冒頭あたりでも江戸で余震が続いている。1月1日の北陸地震を影響を受けたわけではないが、以前から安政の大地震は興味があったので、それを扱った本を読んでみたいと思った。明日は昼から夜遅くまで仕事の予定。

 

2024/1/14

昨日はお出かけだったが、今日は一日中屋外で作業した。夕方にはヘトヘトになってしまった。地元のお爺ちゃんと1時間近く会話した。天気が良かったため散歩がてら、僕らの家まで来られた。僕らが最初に出会ったときは元気だったが、今は90歳を過ぎてしまって、かなり弱っていた。これが最後の会話かもしれないと感じた。最近は家族葬が多く、同じ地区に住んでいるのに亡くなっても気が付かないこともある。吉村昭『落日の宴 勘定奉行 川路聖謨(上)』(講談社文庫)を読み始めた。またまた吉村昭に戻ってきてしまった。

 

2024/1/13

天気がよく、彼と一日中お出かけ。19時前に帰宅した。灰谷健次郎『太陽の子』(角川文庫)を読み終えた。

 

えらい人というのは、えらい政治家や、すぐれた仕事をした

芸術家や学者や、名の残るような実業家というような人たちを思っていました。

今わたしは人間がえらいということはそんなことではないと思いはじめています。

とても大きな問題なのでうまくいえませんけど、

どんなにつらい時でも、どんなに絶望的なときでも、

本気で人を愛することのできる人がえらい人なのだと思うのです。

キヨシ君やキヨシ君のおかあさんを見ていると、

そのことがすごくよくわかるのです。

キヨシ君は、おかあさんにさからっているけれど、

それはおかあさんをほんとうに愛したいと思うからそうするのです。

キヨシ君はきびしい人です。人を愛するということはきびしいことなんだなあ、

とつくづく思います。

 

過去に読んだ『兎の眼』も同じような視座で書かれていたが、この小説の中で、中盤から手紙のやり取りがよく出てきて、それよりも一層踏み込んで書かれている。

 

2024/1/12

灰谷健次郎『太陽の子』(角川文庫)を読書中。

 

あんたの人生がかけがえのないように、

この子の人生もまたかけがえがないんだよ。

ひとを愛するということは、知らない人生を知るということでもあるんだよ。

そう思わないかね

 

以前、読んだ池田晶子の本に書かていた言葉。

 

「わかろう」という意思、これは何か。 

言うまでもない、優しさである。わからないものをわかろう、

自分ではない他人をわかろう、この創造的努力のまたの名は、

ほかでもない、愛である。

愛のない人にはわからない、愛のない人が、わかっている以上のことを

わかることはあり得ない。なぜなら、最初から、わかる気がないからである。

わかる気のない人に、なぜわかるわけがあるか。

愛していないものを、なぜわかる気になれるか。 

 

わかる力は、愛である。 

 

えてして人は気づいていない、真の知力とは、愛する力であることを。

 

2024/1/11

吉村昭『冷い夏、熱い夏』(新潮文庫)を読み終えた。小学低学年の頃、父方の祖母が亡くなった時のことを思い出した。まだ60代だったが、病院にお見舞いに行った時に、人工呼吸器に繋がれ重篤な状態で、初めて「死」ということを考えさせられた。帰りに車中、兄と一緒に無言になったことをよく憶えている。吉村昭も弟の死の数日前に、自分の息子を面会に来させている。

 

私も息子に弟の印象について問いかけてみたい気がしたが、思いとどまった。

死を目前にした一個の人間を初めて眼にした息子の胸には、

さまざまな思いが去来しているにちがいない。

生命というもの、死というものをかれなりに考えているはずで、

それをかき乱したくはなかった。

 

次に灰谷健次郎『太陽の子』(角川文庫)を読み始めた。

 

2024/1/10

吉村昭『背中の勲章』(新潮文庫)を読み終えた。次も吉村昭で『冷い夏、熱い夏』(新潮文庫)を読み始めた。大学時代頃からだったろうか、吉村昭なる作家がいることは本屋に行って棚を眺めているときから目にして知っていた。ただ、読んでみようとまでは思わなかった。それから半藤一利らの日露戦争史や太平洋戦争史の本を読んでいると、ぽつぽつと「吉村昭」の名前を見かけることがあって興味を持つようになった。実際に吉村昭の本を読んでみて、みなもと太郎『風雲児たち』と似通った歴史の描かれ方をしていると感じた。確実にみなもと太郎は吉村昭に影響を受けているだろうと感じた。

 

2024/1/9

吉村昭『わたしの流儀』(新潮文庫)を読み終えた。次に同じ吉村昭『背中の勲章』(新潮文庫)を読み始めた。「こわいもの見たさ」というタイトルのいびきに関する話が面白かった。僕も前職の研修旅行の際、隣で寝ていた上司にいびきが異常に煩く一睡もできなかったことを思い出した。

 

翌朝、その編集者の話をきき、K氏の鼾が容易ならざるものであるのを知った。

鼾は、パワーショベルで土石をすくうのに似た荒々しい音で、

その編集者は土木作業の現場にいるようで一晩中全く眠りにつけなかったという。

K氏にその話をすると、

「それはそれは」

と微笑するだけで、少しも悪びれた風がみられない。

 

2024/1/8

休日。なのだが昨日に続いて朝から夕方までひたすら彼と一緒に作業をした。二日続けて作業をしたので疲れた。吉村昭『わたしの流儀』(新潮文庫)を読み始めた。僕にしても彼にしても、よく本を読む方だと思うのだが、読書の仕方が全く違っていて興味深い。彼は興味がある分野の本を著者に縛られずに読んでいるが、僕の方は特定の著者が気に入ったらひたすら、その作家の本を読んで、その作家周辺の人物が書いた本を更に読み広げている。僕は人間関係も狭く深くいくタイプなのだが読書においても同様らしい。

 

2024/1/7

休日。朝から夕方までひたすら彼と一緒に作業をした。仕事でも私生活でも人間関係ばかり囚われているが、人間関係以外に目を向けながら過ごす時間があると落ち着く。5年くらい前に八王子駅である人と会って、始発近い電車に乗って新宿駅に戻っていた。その時、窓から果てしなく広がる住宅街を眺めながら、人間が少ない地方ですら人間関係がもつれて大変なのに、この窓から見える人たちの関係の中を生きていくのは厳しいだろうなと考えていた。人間的な感情を出して生きていくのは難しく、感情を殺しながら生きていかないと難しいと感じた。吉村昭『破獄』(新潮文庫)を読み終えた。この小説の最後、何度も脱走をした刑囚は、府中刑務所の所長と出会う。その刑務所で人間的な扱いを受けて、その刑囚は脱走することを止めた。

 

2024/1/6

土曜日なのだが仕事で出勤。出勤途中に歩きながらyoutubeに掲載されている『小林秀雄講演 歴史は鏡』を聴いた。歴史関連の書籍を読んでいる際に感じていることと、ほとんど同じだった。吉村昭『破獄』(新潮文庫)を読書中。今回は最後まで読み終えそう。

 

2024/1/5

一日遅れて仕事始め。腰の痛みが増してきたので動きに用心しながら生活。彼が夜遅くに帰ってくることになったのでYouTubeで小林秀雄の講演会の録音を聞いて過ごした。吉村昭『逃亡』(文春文庫)を読んだ。次に同じ吉村昭の逃亡小説の『破獄』を読み始めた。『破獄』は以前読んだことがあったが網走の刑務所に移動したあたりで読むのを止めてしまったので再挑戦することにした。

 

2024/1/4

彼は仕事で朝から来客があって代わりに対応。朝方から腰にズキズキとした痛みを感じるようになった。もっと痛くなりそうな嫌な予感がしている。ノイマンについて興味を持ったので、高橋昌一郎『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔 』(講談社現代新書)を読んだ。


2024/1/3

昼前に実家を出て福岡に戻ってきて彼と待ち合わせをして帰宅。二人で家にいるとテレビもうるさい番組を見ないし、見たい番組が無ければ付けないし、とても静か。農村部なので時折上空を通り過ぎる飛行機の音が聞こえるくらいで後は無音。塩野七生『皇帝フリードリッヒ二世の生涯(下)』(新潮文庫)を読み終えた。彼は早くに寝てしまったので、静かな中、のんびり本を読んだ。

 

2024/1/2

午前中は彼からの依頼でお出かけ。昼に帰宅して、夕方前から近所の散歩をした。3歳くらいまで風邪を引いた際、よく連れて行ってもらった診療所に行った。集落の奥まった場所にあって、古い家が多く静かな場所にある。ドイツ語でカルテを書くお爺ちゃんが医師。母屋も診療所も古い木造建築で子供心ながら立派な建物だと感じていた。母屋や庭は昔のまま残っていたが診療所はつぶされて、跡地には残念な昭和建築が立っていた。僕が中学生になるくらいにはお爺ちゃんは亡くなって診療所は跡継ぎが無く閉めたらしい。天井が高く少し洋風がかった木造建築で、立派な古民家と言えば、あの診療所が最初だった。発熱で頭がぼぉとしている状態でよく母親に連れられて行った。その集落に向かう途中、手入れされた山。竹林。畑があって暖かい季節や寒い季節が感じられて好きだった。今やその山も畑も住宅街になってしまっていた。吉村昭『大黒屋光太夫(下)』(新潮文庫)を読んだ。

 

2024/1/1

正月。実家でゆっくり読書した。もう何年かぶりに一歩も外に出ることなく屋内でのんびりと過ごした。去年の年末年始でも、どこかしら少し出かけていて、年末年始以外でも出かけないことはありえないのだが、もう去年はずっと平日も休日も関係なく働いていたので、一日だけでも家でダラダラと過ごすことに決めた。夕方に北陸地方で大きな地震があった。吉村昭『大黒屋光太夫(上)』(新潮文庫)を読んだ。