この『with』という曲。
山田洋次監督の『息子』という映画のイメージソングとして起用されている。CDの発売日と映画の公開日から比較して、最初に曲が作られてから、その後に監督本人なのか制作の関係者の誰かが曲を聴いてイメージソングとして起用されたのだろうが、歌詞の内容が、映画の内容とぴったりと合っている。
映画は岩手から上京した若い男性が居酒屋でアルバイトしているシーンか始まる。男性の話す方言が店長に通じないという場面からだ。都会では男性の話す言葉は相手に伝わらない。その後、その男性は配達先で出会い恋した女性に声をかけ、手紙を送ったりするのが、女性から全く返答がもらえない。その女性は聴覚に障害があり口がきけなかった。女性は話して男性に言葉を使えることができなかった。男性は仕事仲間に女性に恋していることを伝える、その仲間は耳が聞こえず、口がきけない女性に恋したことを残念がるのだが、その態度に男性は激怒する。
自分の話す言葉が通じないという状況において二人の境遇は似ている。
この映画にはいくつか主題があるが、その中でも言葉は一つの主題だ。
自分の話す言葉が相手に通じない。
言葉が通じないという状態、歌詞の「僕のことばは意味をなさない 」という状況だ。
中学時代、不思議に思っているいくつかの言葉があった。
「どうしてこんな言葉が存在しているんだろう?」と不思議に思っていた。
それは「永遠」「永久」という言葉だったり「普遍」といった類の言葉だった。今になって思い返してみると「存在」に関する言葉が多かったように思う。例として「永遠」という言葉で説明すると、生物は永遠ではない。地球も永遠ではない。この宇宙ですら永遠ではないと言われている。目に見える物理的なもので「永遠」に続くものなんて存在しない。
それなのに、この「永遠」って言葉は、どうして存在しているのか?
中学時代、そんなことを授業中によく考えていた。
いつ頃かははっきりと覚えてないけど、自分の中で「永遠」という言葉の意味するもの。その意味そのものが「永遠」なのだと考えるようになった。僕たちが「永遠」という言葉を聞いて理解する意味そのものだ。そう考えると、物理的に目に見える形で表現できないものですら、言葉は表現できることに驚いた。そもそも先に意味が存在しなければ物理的なものすら存在しないはずだ。意味が存在しなければ人間には分からない。
もう一つ、とても不思議だった言葉がある。
それは「真理」という言葉だ。
その言葉を辞書で調べてもわからず、辞書で調べれば調べるほど、新しく分からない言葉ができた。それについて中学時代の国語の教師にノートに書いて質問してみたこともあるのだが無視されてしまった。その言葉がどうして存在しているのか漠然と分かるまでに、それから更に20年以上かかった。
あたりまえのことだけど、言葉には必ず意味が存在する。
そもそも言葉は意味がなければ存在しない。まず言葉より先に意味が存在していたはずだ。「分かり合う」ということは、言葉を通して先に存在している意味を分かり合うということだ。
この物理的に見ることができない意味に対して「永遠」という言葉をつけたのは誰なのか?
目に見えないけど、あらゆる意味が集まった塊のようなものがあって、その意味の塊の中から、一つ一つ意味を切り取って言葉をつけた者がいるはずだ。
そして、この「永遠」という言葉の意味を世界中の人達が共有できるのは何故なのか?
人は言葉を通して意味を共有できる。言葉は人と人をつなぐ鍵だ。
with…そのあとへ君の名を綴っていいか
と歌詞の中で繰り返し書かれている。
with…の後に綴られる名は。
僕の言葉が意味をなす人。僕の言葉の意味が分かる人。お互いの言葉の意味を分かり合うことができる人の名だ。
<つづく>