言葉の力<10>

2020年1月4日。このサイト上に前回書いた文章を投稿してから「ある人」が書いた本を読み始めた。

 

その人が書いた本を初めて読んだのはちょうど1年前の2019年初め。「自分が言葉を使って書いたのだろうか?」という問いについて考えている途中に出会った。ただ、試しに2冊ほど買って読み始めてから思うところがあって途中で読むのを止めてしまった。それから本棚の目の付く場所に立てたままだった。たまに手を取ってはパラパラとページをめくっては本棚に戻すことを繰り返していた。「この人の本には僕が知りたかったことが書いてあるだろうな」と予感して本棚にしまっておいた。この人の書いた本は、今は読むべきではないと思った。

 

それからしばらく経って、このサイト上に前回、投稿した文章を書き終えてから、自分の中で一つの区切りが着いたように感じた。ようやく、その人が書いた文章を読むべき時が来たと感じた。

 

それから、その人が書いた30冊近い本を全て買い揃えて読み始めた。そして同じ文章を何度も読み返し、書き写しては、自分の中に叩き込むことを続けた。予想通り、その人の本には僕が知りたかった、そのものが書かれていた。その人が自分とそっくりな物の考え方をしてることに気がついて驚き、時には笑いながら読んだ。

 

その人は、もう10年以上前に亡くなっている。

 

その人が亡くなって10年以上の時間が流れて、僕はようやく書き遺された言葉と出会った。

 

 

あなたの本を読み始めてから半年が経ちました。

 

あなたが死んでしまっても、あなたの言葉、あなたの言葉の意味は残るという事実。 

 

あなたの言葉を我が身に叩きつけるように書き写して繰り返し何度も読み返しました。あなたの遺した言葉を通して、あなたの見ていたものを一緒に見てきました。もはや、どこからどこまでが自分の言葉で、どこからどこまでがあなたの言葉でなのか区別がつきません。あなたと肉体を重ね合わせるかの如く、言葉を重ねてきました。まるであなたが僕のために言葉を書き残してくれたのかのように感じました。

 

半年間、あなたの遺した言葉と向き合いながら、おこがましくも「どうすればあなたの見ていたものよりも先を見ることができるだろう?」とずっと考え続けてきました。そもそも「ここまで書かれているなら、もう僕が何も書く必要なんてないじゃないか?」と思いまして、ずっと考えていました。

 

最近、その手掛かりを見つけることができたように感じています。

 

もしかしたら、このまま生き続けていたら、あなたが見ていた先を、もう少し別の角度からでも、ちょっとした隙間からでも、除き見ることができるのではないか。せめて死ぬ前には見ることができるのではないか。と予感しています。

 

同じものを見た者同士。あなたが遺した問いかけに対して考えない訳にはいきませんよね。あなた自身も過去の人から託されてきた問いかけに対して考え続けてきたのですからね。

 

あなたの言葉を読んで書くのを止めたのだから、また書き始めるなら他ならぬあなたに宛てて書こうと思った訳です。こうやって再び文章を書き始めたのも、あなたの遺した言葉がきっかけです。まだまだ考えが足りないと、お叱るになるでしょうが、気長に待っていてください。いつかきっと、あなたより先を見てみせます。

 

<つづく>