言葉の力<11>

僕は言葉をどう使っていけばいいんだろう?

 

そんなことを高校時代の中盤から後半にかけて考えていた。その間に起こったことは過去の文章に書いた[※1].

 

言葉は使う人の精神そのものだ。誰かに向かって「キモい」や「死ね」といった言葉は、言葉を向けた相手だけでなく、その言葉を言った本人さえも傷つける。僕自身が傷ついたのも事実だけど、一方で彼らに申し訳ない気持ちになった。彼らがそういう言葉を使う状況にしてしまったのは、僕が不用意にカミングアウトをしていたからだ。

 

一方で、言葉は人を癒すこともできる。僕は高校時代の中盤から、ほとんど学校に通っていなかった。そんな中、たった一冊の本と出会って再び学校に通うようになった。たった一つの文章で、人を立ち直らせることができる力を言葉は持っている。まるで僕が言葉に吸い寄せられるように感じることがある。僕がたどり着くまで言葉がずっと動かずに、その場所で待ってくれていたかのように感じることがある。

 

ほとんど学校に通っていなかった中、母親と早朝に散歩していて、とても大切なことに気がついた。言葉は声として話されたもの。文章として書かれたもの。そういった耳で聴いたり、目で読んだりするだけではなく。耳で聴くこともできないし、目で読むこともできないけど、確かにそこに言葉が存在することに気がついた。むしろ耳や目で感じることのできない言葉の方が、話された言葉や書かれた言葉よりも、言葉の中に込められた思いは強いのかもしれない。年を取れば取るほどに、大切なこと。本質的なこと、は目に見えない部分にあるように感じる機会が多くなってきた。

 

僕を傷つけたものも言葉だった。でも僕を救ってくれたのも言葉だった。

 

言葉は人を癒し、人を傷つける。

 

ちょうどこの時期に、中島みゆきの夜会 VOL.8 『問う女』をビデオで観た。その舞台の内容について、この場で細かくは書かないが「言葉」について扱ったものだ。舞台タイトルの『問う女』の通りに、彼女はマイクを客席に向けて去り幕を閉じた。

 

「あなたは言葉とどう向き合いますか?」

 

という問いかけを残して。

 

<つづく>

 

※第6章 カミングアウトの代償<12>~<19>