言葉の力<13>

詩は言葉が「量的」なものではなく「質的」なものだと気がつかせてくれた。

 

小学時代。歌詞カードを読むのが好きだった。それが高じたのか中学時代から「詩」を読むようになった。あの頃、知らない言葉を覚えるのが楽しくて、授業中によく辞書を読んでいた。新しく覚えた言葉を、作文の中で無理に使ったりしていた。今になって振り返ると、随分と背伸びしながら文章を書いていたと思う。そんな中、詩を読むようになってから、無理に多く言葉を覚える必要はないと考えるようになった。言葉はただ沢山覚えればいいものではないと気がついた。

 

詩は平易な言葉で書かれたものが多い。それなのに意味が分からない詩が多くあった。その詩を構成している言葉。一文字、一文字の意味は分かる。でも、一文字、一文字がつながれて文になった時、途端に意味が分からなくなる。これがとても不思議だった。

 

詩を構成する一文字、一文字の意味。その言葉の意味は辞書で調べれば分かるものだ。でも辞書で書かれた言葉の意味を理解しても、詩の意味は分からない。

 

じゃあ。この一文字、一文字をつないでいるものは何なのか?

 

書かれた言葉として目に見えない何かが存在するのではないか?

 

と疑問に思っていた。

 

まず、この一文字、一文字をつないだのは、詩を書いた本人である「詩人」だ。その詩人が次にどの言葉を使うのか「言葉の選択」をしている。一文字、一文字は詩人の言葉の選択という線でつながれている。一文字、一文字をつないでいる線は「詩人の人格」だ。それが文体となって現れてくる。どうやら言葉の多様性はこの辺から生まれてくるらしい。100人の詩人が同じテーマを文章を書いたとする。でも最初から最後まで同じ言葉で書かれた詩はないはずだ。

 

じゃあ。同じような日常的な言葉で書かれた詩でも違いが出てくるのは何なのか?

 

と疑問に思っていた。

 

ありふれた日常的に使う言葉で書かれた詩でも、心に響く詩もあれば、心に響かない詩があるのが不思議だった。心に響く詩には「この詩を書くには、この言葉を選択するしかない」といった説得力がある。この説得力の違いはどこから出てくるのか不思議に思っていた。

 

人は文章を書く時、2つの意味の言葉を使っている。1つ目は辞書などで書かれている言葉の意味。もう1つは、文章を書く人が経験を通して理解した言葉の意味。同じような言葉を書いても、文章に差や深みが出てくるのは、どこまで深く言葉の意味を理解して使っているかどうかの差から出てくる。

 

言葉の意味は人間の外にもある。それと同時に人間の内にもある。

 

ここまで書いたことは、僕が子供の頃に考えていたことだ。

 

「人間が言葉の意味を理解して、人間が言葉を選択して文章を書いている」という認識だった。あくまで「人間が言葉を使っている」と思っていた。ただ、それとは全く別の視点があることを、自分が文章を書き始めてみるまで分かっていなかった。

 

<つづく>