そもそも何故、僕は文章を書き始めたのだろう?
ゲイとして生きていく中、自分なりの問いかけがあって、それに対する答えを探そうと書き始めたのだった。更に言えば、そもそも文章を書くという選択したのは、子供の頃から言葉について興味があったからだ。
文章を書きながら、ゲイとしての側面の問いかけだけなく、ゲイ以外の側面の問いかけも新たに見つけた、でも、こういった問いかけを自覚的に認識したのは、文章を書き始めてからだ。言葉にして文章として書いてからだ。言葉に出して見て初めて気がつく。こうやって問いを抱くことすら、最初に言葉が書いてみないと始まらない。「問い」は「答え」でもある。それら二つは対立しているようで、実は一つでもある。
先ほど「言葉は僕だけのものではない」と書いた。
言い換えれば「言葉は僕のもの」でもある。
こうやって書き綴る言葉の中には、いやがおうでも僕という人間が出てくる。自分の言葉で語り始めないと何も始まらない。
結局、まずは言葉にしなければ、言葉として発してみなければ、言葉にして書いてみなければ何も始まらないのだ。
<終わり>